論文・著作

アジアの一国から世界へ
—情報官と仲裁官の可能性—

2001年12月執筆

日本の船出

戦後、ある意味憲法を理由に日本は、世界に於いて良きにしろ悪きにせよ、積極的な役割を果たして来なかった。しかし、日本を取り巻く世界の環境は、急激に変化してきている。冷戦の終焉によって平和な明るい未来が訪れる、という楽観的予想は脆くも崩れ去り、世界は二極対立から多極対立へと更なる混沌に叩き落された。幾度と無く繰り返される地域紛争、終わりなきテロ活動、この様な状況下で日本にもその国力に見合った国際的役割を求める声が大きくなって来ている。そして、課題は直接的な軍事問題に限らず、平和維持活動、人道支援活動、災害救援、非戦闘員退避活動、海賊対策、麻薬撲滅、テロ対策と多岐に渡り、それらのボーダレス化も急速に進展している。では、それらの国際的課題に日本がどの様に取り組むべきか、そして、その可能性を提示することを試みる。

国内の法整備

日本には国際貢献を果たす前に取り組むべき課題がある。それは、国内の法整備である。北朝鮮の核疑惑・危機、湾岸戦争、阪神淡路大震災などの際に日本が、それらの問題に迅速に対応出来なかった事は記憶に新しい。先ずは、有事の際に対応出来得る法整備が求められる。つまり、有事の際に道路交通網や港湾等をどの様に規制し、活用するのか。また、人から人へと感染するようなバイオテロが生じた時に個人の移動をどの程度制限するのか、個人の人権はどうするのか、そのための法整備を図らねばならない。また、これらの問題に対処する際、地方自治体と中央政府の権限をどの様にするのか。考えなければいけない問題は山積している。

加えて、世界から信用される国家になる為には、情報の管理を徹底しなければいけない。これは国際関係・問題に限ったことではなく、正確な情報を収集することは絶対的に重要である。しかし、日本には、その情報を法的に管理する制度が十分整ってはいない。公務員には、ある程度の守秘義務が課せられているが、政治家にはそれが欠けている。今や、情報分野に於いて一つの機関で対処できる時代ではない。色々な国や機関との横の繋がりが求められる。だが、重要な情報が漏洩する危険性のある国にどこの国・機関が信頼を寄せ、協力するだろうか。

そして、今回も先送りにされた集団的自衛権の解釈・改憲問題もある。その権利を有しているが行使できない、と公言している国家は世界でも日本だけなのである。これらの状況を改善したとき、日本は一人前の普通の国に成れるのではなかろうか。先ずは、自国の足元を整えてから外の問題に向き合うべきである。

情報官から仲裁官へ

国内の環境を整えた後、日本は世界でどの様な役割が果たせるのか。日本には世界の警察官になることは求められていないし、国力から考えてもそれは無理である。しかし、情報官としてなら世界に貢献出来ないだろうか。湾岸戦争時に日本大使館がイランから得た情報は、世界屈指の諜報機関を有する米国をもうならせた。

今回のアフガン復興会議に於いて日本が主体的に動けているのは、もっぱらアフガン後の経済支援を期待されていると観測する向きもあるが、以前からタリバン政権の要人らを集めて円卓会議を幾度か行っており、その情報収集・蓄積が高く評価されたのも、また事実である。地道な外交努力に華々しさは無く、あまりクローズ・アップされていないが、これらの事柄は、日本が世界の情報官として貢献出来得る可能性を示している。

多元・多角的に情報を収集し、積極的に平和外交を遂行したならば、次に求められる活動は、様々な紛争・問題に於ける仲裁官としての役割ではなかろうか。一部のアジア諸国と歴史的問題を抱えているとは言え、幸い、半世紀以上、日本は宗教対立や戦争の当事国とならずに平和国家日本として歩んで来た。従って、他の国に比して中立的な立場を維持しつつ、世界の仲裁官としての役利を果たすことが出来はしないか。

21世紀をどの様に日本が歩んで行くのか、アフガン復興会議の成否が試金石になるであろう。大国や近隣諸国の思惑が渦巻く中、アフガン後の新政権発足に向け日本が尽力し、その発足に貢献できたならば、世界の仲裁官として期待は高まるだろう。日本には、それだけの国力と可能性が秘められている。

真の平和国家

半世紀に渡って日本は、欧米に追い付くことを目標に邁進して来た。事実、経済戦争に勝ち続け、世界に冠たる経済大国になった。だが、その過程で見落としてきた事や切り捨ててきた事も多々あった。今日、それらの対価を求められているように思えてならない。

守られた平和に日本だけ安住する時代は終わった。世界で起きている事実を直視し、現実に即した国づくりが求められる。仲裁官として世界に於ける平和を追求したとき、はじめて日本は真の平和国家になれるだろう。